2019/10/05

[10月例会」溝上さんのお話

30年を振り返って歴代総リーダーが語るシリーズ⑦
1994年度総リーダー 溝上さんのお話 

(2019年10月例会)当日のパワーポイントスライドです。


1994年(平成6年) 総リーダー溝上です。
私は昭和48年、39歳の時に大阪友の会池田方面に入会しました。
その年の7月衣の係が空席で、引き受けたのが私の「衣」のことに関わった最初です。
方面リーダーの後、委員になりました。制作部の仕事を受けて「衣」のことにも関わりながら勉強して来ました。

その頃、神戸友の家で近畿部の研究会があり、八木康子先生が講師でした。その後、近畿部の「衣」にかかわっている人たちと八木先生の学校に月2回通うことになり、色々なデザインの製図から洋裁の基礎を学びました。
1988年の婦人之友6月号に、先生に推薦されて作ったワンピースが掲載されました。

 「自分の持っている知識と技術を全部皆さんに伝えます」と先生が言われていたことが、私の心に残っています。これはその後の私の友の会生活すべてに関わってきました。

6方面に分かれて活動しはじめた時、会員のアパートの空き室で私が習ってきたことを伝えようと考え、勉強を始めました。
その後、古い友の家を拠点に「衣グループ」として活動をはじめ、グループの人も20名位となり、1987年より「夏服を縫う会」を呼びかけました。



毎年会を重ねるたびに心待ちにして頂ける様になり参加者も増え、40人近くの人が参加する様になりました。布地は播本さんと堺まで買い出しに出かけ、たくさんの布の中から50着ぐらいをお店の好意で借りて来て、後で精算しました。皆で、似合う布をわいわい言いながら選ぶのも楽しかったです。型紙は、「衣グループ」の人達に各々の人の採寸した寸法で作ってもらい、私がなおしながら点検、当日を迎えました。2~3回で仕上げて、その年の例会で見て頂きました。


子ども服も別に縫う会をもちました。
         
習って来た事は皆に伝えることを私の使命と考えて、衣グループに関わって来ました。

1994年に、私は総リーダーをお受けしました。60歳になる年でした。
分房独立してから5年、まだ1度もさせて頂けなかった近畿部の仕事の当番をさせてもらいたいと、まず高年の会の集りを希いました。当時は10月に開催されていました。
候補地を「不死王閣」ときめ、委員有志とみどり会の人たちと見に行きました。会場のこと、宿泊のこと、経済のこと、日時のことなど話し合い、委員会で相談しました。4月の近畿部新旧リーダー会で説明させてもらい、各地のリーダーからも後押ししていただき、豊中に決定しました。

2日目の昼食の献立は各方面に呼びかけ食研もかかわって勉強することになりました。講師として町田貞子氏がいらして下さることも決まり、皆で喜び合いました。
2日間通しての出席者174名。200食位のお弁当作りは大変だったと思います。どの方面もかかわって一家総動員の働きでした。近い方面は送迎、宿泊に関わり、おもてなしができ、皆さん喜んでお帰りになりホッとしました。

翌年1月17日、阪神淡路大震災が発生。テレビに映し出された被害の様子はショックでした。当日予定されていた係会を中止にして友の家に駆けつけました。玄関の壁の亀裂や食器の散乱などあったけれど無事を確認しました。
しかし神戸や西宮など災害の大きさに声を失いました。すぐに中央委員から連絡があり支援に動きだしました。必要なものが日々変わっていく中、皆で必要なものを拠点となった西宮友の家に届けました。
豊中の周辺も被害があり、体育館などに避難している人たちも多く、そちらにも友の会として精いっぱいの支援をしました。
一段落した頃、豊中友の会にも食器セットとスモックが送られて来ました。他友の会の温かさにふれて嬉しかったです。
大変な事のあった年の総リーダーにとって、皆の協力を得て終えることが出来、本当に感謝の1年でした。

現在85歳となりましたが、元気の間は、皆と一緒に学び励んでいきたいと思っています。